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池田大作のおさげ渡し

84年創価学会系の出版社、第三文明社が刊行した、我が栄光の青春・創価学会青年部体験談集というシリーズ本がある。岸本加代子、工藤夕貴、松あきら(元宝塚、現公明党)など、学会文化人たちが信仰体験をそれぞれに綴っている。

同書の中に、生命を磨き妙法の大女優に、のタイトルで杉田かおるが登場している。母は、父との離婚や経済的な重圧など、胸の苦しさを紛らわせようとして、ヤケ酒におぼれていったのです。

1升酒をあおるように飲み、クダをまいている母の哀れな姿(中略)。といってどん底の生活から、学会の
信仰を得たことによって生活が改善。御本尊に巡り合えてよかった。創価学会に、そして池田先生にお会いすることができてよかった、その実感でいっぱいです。

この本を取り出すと、杉田は顔色を変えた。

あの本はもう見るのも嫌です。聖教新聞の記者が私を取材して書いたものですが、内容は大半が創作です。

インタビュー中に、もっと悲惨な体験などとうるさい。母が酒乱で、酒に溺れていたとか、私の嘆息の症状も重症になっている。

家族がこの原稿に激怒し、もう、全面的に書き直してほしいと思いました。


時は今から10年ほどさかのぼる。杉田は指定されたレストランに到着し、女中の案内で個室の座敷に通された。そこではすでに4,5人の副会長が酒を飲んで待っていた。

大きなテーブルで、奥側に副会長たちがずらりと並んでいたという。副会長の1人が腰をあげていった。

さあ、そんな座り方をしないで。男と女、交互に座ろうよ。

杉田たちは、席を立ち、副会長たちの間に座った。料理が運ばれてきてテーブルに並べられた。そして酒も。

ちゃんと酌をしろ、杉田は、隣に座ったすでに酒で顔が赤くなった副会長の一人から酌を求められた。

その高圧的な言い回しに杉田は少し頭に来た。感情を抑えながら静かに言った。芸能界でもお酒は自分で飲むものです。

私たちは、人に勧める商売ではありません、その副会長は少したじろいだようだったが、怪訝な顔をしていった。

なんで酌をしないんだ。だいたいもっと色っぽい格好しなければ駄目だよ。周りを見ると、杉田の先輩であるYやSはしなを作りお酌をして回っていた。

そのうち、別の副会長が言い出した。みんな足をあげて踊ってくれ、さすがにラインダンスまでは披露しなかったが、ある芸術部員は、スカートをちょっとあげたりして踊るふりをしていた。

いいよな、この仏教は。酒が飲めるからな。副会長が言ったこの言葉が、杉田の頭について離れなかった。宴会は2時間を超えた。

このメロンは天皇陛下と私しか食べられない。

池田はメロンを指して自慢げに言った。池田のメロン好きは有名である。池田はスプーンでメロンをすくいうまそうな表情で一口食べた。そして辺りを見回していった。

みんなに食べさせてあげよう。

本当かどうかはわからないが、貴重なメロンである。杉田は、そんな貴重なメロンをみんなに味わわせてあげたいという池田の思いやりに少し感激した。

ところが、池田は、自分の食べかけのメロンの皿を横の人間に回した。そしてその人間は、同じスプーンでメロンをすくい口に運んだ、そして次へ---。

彼らは喜んで次々と同じスプーンを口に運んだ。席には男性幹部や女優たちがいた。中には、スプーンをしゃぶるようにする中年の幹部もいた。

嫌悪感が背筋を走った。

誰もスプーンを持ってきてくれと頼む人はいない。皿がだんだん杉田の席に近づいてくる。メロンの皿は、杉田の隣まで来た、メロンの大部分は既に削り取られており、どろりと、汁がさらにこぼれていた。

そして皿は杉田の前に回ってきた。池田大作以下、テーブルを囲んでいた人々の視線を感じた。杉田は覚悟を決めた。

なるべく少なくメロンを削りスプーンに載せた。しかし、力を入れ過ぎたのか、結構の量がスプーンに乗っていた。

一瞬目をつぶって、口の中にいれた。なるべく味わわばないように飲みこんだ。池田は自分が食べた後、残りを周囲の幹部に回す習癖を持っている。

忠誠心を試しているともいわれるが、幹部たちはこれをおさげ渡しと呼ぶ。

時はそれから下る。場所は,信濃町の学会本部近くのレストラン。

学会御用達の店の一つである。杉田たちが池田と会食する機会が巡ってきた。その場には、杉田などの芸術部員のほか、学会顧問弁護士や女子事務員、それに副会長たちが席を埋めていた。

出席者がそろったところで、池田が顔を見せた。席についた池田は、テーブルをぐるりと見回し、まずは杉田たちの芸術部員の方を向いていった。

今日は誰が来ているの。ああ、芸術部員ね、華やかだね、きれいだね。そして、体の向きを変えた。

こちらは?弁護士?秘書?ああ、弁護士など人間の最低の境涯ね。でも、本気で修行すれば、来世は
もっといい者に生まれ変わるからね。

また向きを変えた。こっちは副会長か、バカどもの集まりね、はい、では食事をしましょう。

池田のそうした態度に対して、愛想笑いをしている側近幹部たち。杉田はとても笑顔を作ることができなかった。

もう、学会との関係は断ち切ろうと決断しました。信仰というのは、個人の問題。信仰を捨てようとは思いませんが、学会から離れて自分を見直したい、そう考えたのです。

芸能界に7歳でデビューしている杉田は、大ヒットしたテレビドラマ、3年B組金八先生や、池中弦太80キロの出演で、本格的な女優の道を歩み始めた。その一方、熱心な学会の活動会員であったことはあまり知られていない。

父親が学会員であったことから、0歳で入信したという杉田は、青春時代、聖教新聞を配達し、布教に努め東京・品川区内の女子部副部長の役職まで任命された強信者。

池田大作著の人間革命の本をぼろぼろになるまで何度も読み返したという。84年成人式を迎え、有権者になった杉田は、早速、選挙運動にかり出される。広告塔のスタートである。

初めての応援は、85年の東京都議会選挙。芸術部員で女優のKと一緒に、町田市や中央区に配置された。

街頭宣伝カーに乗っても、何を話してよいのかさっぱりわからない、ただ、公明正大な公明党とか、当たり
障りのない言葉をマイクに向かってさけんでいたという。

純白のスーツに、杉田かおると大書したたすきをっけ、手には白手袋。その手を車の窓から出して、ちぎれんばかりに手を振り続けた。開票日、杉田かおると書かれた投票用紙が何十枚とあったという。

杉田は女優として知名度があり、機転も聞くし、何よりも、学会の信仰には人一倍熱心である。創価学会・公明党の広告塔として、申し分のない適任者であったのだ。

新幹線を乗りつけて地方に行ったときなど、夕食に招待された。公明党の選挙応援に出向き、夕食に招待するのは、なぜか地元の学会・最高幹部である。

何を勘違いしたか、くだんの最高幹部氏、杉田と顔見知りになったことを利用してか、実に不愉快なエピソードもあったという。

選挙が終了した数日後、ともに夕食をした地方の最高幹部から杉田の自宅に、いきなり電話がかかってきた。

こんな会話である。

新幹線代を出すから来ませんか。

なぜですか。

君の顔を見たいから、時間の都合をつけてくれ。

私は本部から派遣されていっただけ。個人的に行くことはしません。


そのへんのところ、都合つけてよ。


杉田に執拗にくいさがった最高幹部とは、氏名を伏せるが、因みに某副会長である。



ともあれ、こうして杉田は30歳の歳まで公明党の広告塔になる傍ら、自らF票を取り、さらには昼夜を惜しみ、学会活動に専念してきた。

このような話をするのはこれきりにしたい。と、語った杉田は、5時間に迫るインタビューに、何度も泣き、涙で濡れたハンケチを握りしめながら答えてくれた。

芸医術部員になって別格扱いされ、池田大作氏から食べかけメロンのおさげ渡しをされる。または、神仏と尊敬してきた池田氏の生身の人間性を何度も目のあたりにして、杉田が抱いてきた組織信仰に対する違和感が次第に膨張していった。

学会を離れて、もう一度、自分を見直してみたい。

と、ついに、学会を脱会し女優に専念するのである。自ら聖教新聞まで配達していた女優、杉田かおる。

学会・公明党も貴重な広告塔を失ってしまったようである。

尚、現在、杉田さんは、日蓮正宗の直属信徒である。


この記事はインタビューを書き写したものです。したがって、投稿日時と合致しません。



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あゝわれ如何にふところの剣は鳴りをひそむとも咽ぶ涙を手に受けて かなしき歌の無からんや。

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